小さくても大きな一歩
2006年4月18日 PIERROT解散発表があってから初めて、PIERROTの映像を見ました。
通勤・帰宅の車中でもずっと音楽無しの生活をしてたんだけど
今日弟がご飯食べに来てて、「昨日ATTACKのDVD見た〜」なんて話を聞いたら
無性に5人の姿が見たくなって。
やっぱり怖かったけれど何か感動しちゃった。
ディク(初タマアリ)のDVDを見たんだけど…
BIRTHDAYがあってサイラバがあってHUMANがあって。
特典にはSEPIAもあって。
ジワっときたよね。
でもそれより何より、蜘蛛と超ヒモ聴いた時に思わず泣きそうに。
映像見てるだけでライブの感覚がリアルに蘇って来ちゃって。
目の前でDVDの映像見てるんだけど、
自分の頭の中では、どこかで見た別のライブ映像が浮かんできて
凄い不思議な感覚だったな。
実は今日ちょっと仕事で落ちる事があって
ほんの些細な事で一瞬だったんだけど、
そんな時「あぁいつもだったらPIERROTに会うまで頑張ろう」って
自分を奮い立たせてたんだけどなぁ…なんて更に落ちるような事考えちゃって。
以下秘密
通勤・帰宅の車中でもずっと音楽無しの生活をしてたんだけど
今日弟がご飯食べに来てて、「昨日ATTACKのDVD見た〜」なんて話を聞いたら
無性に5人の姿が見たくなって。
やっぱり怖かったけれど何か感動しちゃった。
ディク(初タマアリ)のDVDを見たんだけど…
BIRTHDAYがあってサイラバがあってHUMANがあって。
特典にはSEPIAもあって。
ジワっときたよね。
でもそれより何より、蜘蛛と超ヒモ聴いた時に思わず泣きそうに。
映像見てるだけでライブの感覚がリアルに蘇って来ちゃって。
目の前でDVDの映像見てるんだけど、
自分の頭の中では、どこかで見た別のライブ映像が浮かんできて
凄い不思議な感覚だったな。
実は今日ちょっと仕事で落ちる事があって
ほんの些細な事で一瞬だったんだけど、
そんな時「あぁいつもだったらPIERROTに会うまで頑張ろう」って
自分を奮い立たせてたんだけどなぁ…なんて更に落ちるような事考えちゃって。
以下秘密
そうそう。
14日にアップされた康太とタケオさんのコメント。
まぁ、言うまでもなく泣いたんですけどね(苦笑)
何かライヴのMCみたいだなぁって思って。
本当に人柄が出ていると思いました。
自分にとってPIERROTがどういう存在であったのか…
から語っていく文章は、私が本当に聴きたかった言葉なのかもしれません。
PIERROTがどういう存在で、ファンがどういう存在か、
凄くシンプルに書かれていて…。
それが意味するものは、今までの肯定なのかもしれません。
康太はね…本当に可愛い。
可愛いとかこの期に及んで失礼かとは思いますが、
愛しいという意味を含めて、可愛い。
綺羅ちんとも話してたけど、
康太って今まであんまり「愛してる」っていう類の言葉を言ったことが無かったのに
ちゃんと言葉で「愛してるんだよ」って事を伝えてくれてるじゃないですか。
何か今まで恥ずかしくて言えなかったんだろうけど、
この時の為にとっておいた言葉みたいに思えて。
タケオさんはね、あの改行しなさっぷりの文字配列見ただけで
タケオさんらしいな…って。
読んで泣いて読んで泣いて。
タケオさんはさ、よく“景色”って言葉使うよね。
キリトの影響もあるかもしれないけれど、でも、そうなんだよ。
タケオさんが居たあの場所からだと
“景色”って表現がぴったりなんだろう。
以下秘密
14日にアップされた康太とタケオさんのコメント。
まぁ、言うまでもなく泣いたんですけどね(苦笑)
何かライヴのMCみたいだなぁって思って。
本当に人柄が出ていると思いました。
自分にとってPIERROTがどういう存在であったのか…
から語っていく文章は、私が本当に聴きたかった言葉なのかもしれません。
PIERROTがどういう存在で、ファンがどういう存在か、
凄くシンプルに書かれていて…。
それが意味するものは、今までの肯定なのかもしれません。
康太はね…本当に可愛い。
可愛いとかこの期に及んで失礼かとは思いますが、
愛しいという意味を含めて、可愛い。
綺羅ちんとも話してたけど、
康太って今まであんまり「愛してる」っていう類の言葉を言ったことが無かったのに
ちゃんと言葉で「愛してるんだよ」って事を伝えてくれてるじゃないですか。
何か今まで恥ずかしくて言えなかったんだろうけど、
この時の為にとっておいた言葉みたいに思えて。
タケオさんはね、あの改行しなさっぷりの文字配列見ただけで
タケオさんらしいな…って。
読んで泣いて読んで泣いて。
タケオさんはさ、よく“景色”って言葉使うよね。
キリトの影響もあるかもしれないけれど、でも、そうなんだよ。
タケオさんが居たあの場所からだと
“景色”って表現がぴったりなんだろう。
以下秘密
まさかこんな形で皆と集まるなんてね。
解散が発表されてから数日後、
Yちゃんが『土日会いに行きたい』と言ってくれた事に端を発し
いつものメンバーが我が家に集結することに。
仕事で来られなかったIさん、
それに当日体調不良により急遽断念せざるを得なかった相方を除き
Kちん、Yちゃん、Tちゃん、私の4人で集まりました。
結果から言うと…凄く楽しかったです。
ずーっと笑ってた。
時々PIERROTの事を考えて哀しくなったりしたけれど、
でも信じられない位PIERROTの話で笑えた。
こんな時なのに、いつもと変わらないくだらない話で、
声が出なくなるほど笑いました。
土曜日、Yちゃんを高崎駅に迎えに行って
家に戻る車の中では、やっぱりPIERROTの事を話して少し涙しました。
どう考えても納得しがたい現実に、もどかしくてやるせなくて。
考えたって意味の無い事を分かっていながら
それでも「どうしてこんな事になっちゃったの?」って、
どうしても口にせずにはいられなかった。
1時間ちょっとの道のりで、途切れることなくずっとPIERROTの話をしてました。
でもね、やっぱり時間の経過は人の心をも変えてくれるみたいで。
どんよりした空気の中でも、少しずつ笑えるようになってたんだよね。
Tちゃんが潤の事を「潤さん」とか「潤くん」て呼ぶの、
凄く可愛いよねって話をしてて。
私なんか「さん付け」で呼ぶの「タケオさん」くらいだよって。
タケオさんだけは、どうしても「さん付け」じゃなきゃ呼べなくて
むしろ「タケオさん」っていう、それ自体が名前みたいだって(苦笑)
「イシカワ タケオサン」っていう名前みたいじゃない?って(苦笑)
ちょっとミドルネームみたいだし、
実は「イシカワ タケオサン ○○」って、後に何か続くのかもよ?とか(笑)
そんなくだらなくて、何の中身も無いような話だったけれど
やっと声を出して笑えるようになったんだよね。
Kちん、Tちゃんと合流した時は、やっぱり4人とも沈んでた。
ろくな会話もしないで部屋に入って。
それぞれソファーに腰掛けて、皆目を合わせたけれど
すぐにうつむいて、ため息しか出てこないような沈黙が続いてた。
でもね、そんな時間も10分やそこらだったと思う。
何かのきっかけで喋り始めた瞬間、当然話題はPIERROTだったけど
でも全然誰も泣いていなくて、不思議な位落ち着いていられました。
以下秘密
解散が発表されてから数日後、
Yちゃんが『土日会いに行きたい』と言ってくれた事に端を発し
いつものメンバーが我が家に集結することに。
仕事で来られなかったIさん、
それに当日体調不良により急遽断念せざるを得なかった相方を除き
Kちん、Yちゃん、Tちゃん、私の4人で集まりました。
結果から言うと…凄く楽しかったです。
ずーっと笑ってた。
時々PIERROTの事を考えて哀しくなったりしたけれど、
でも信じられない位PIERROTの話で笑えた。
こんな時なのに、いつもと変わらないくだらない話で、
声が出なくなるほど笑いました。
土曜日、Yちゃんを高崎駅に迎えに行って
家に戻る車の中では、やっぱりPIERROTの事を話して少し涙しました。
どう考えても納得しがたい現実に、もどかしくてやるせなくて。
考えたって意味の無い事を分かっていながら
それでも「どうしてこんな事になっちゃったの?」って、
どうしても口にせずにはいられなかった。
1時間ちょっとの道のりで、途切れることなくずっとPIERROTの話をしてました。
でもね、やっぱり時間の経過は人の心をも変えてくれるみたいで。
どんよりした空気の中でも、少しずつ笑えるようになってたんだよね。
Tちゃんが潤の事を「潤さん」とか「潤くん」て呼ぶの、
凄く可愛いよねって話をしてて。
私なんか「さん付け」で呼ぶの「タケオさん」くらいだよって。
タケオさんだけは、どうしても「さん付け」じゃなきゃ呼べなくて
むしろ「タケオさん」っていう、それ自体が名前みたいだって(苦笑)
「イシカワ タケオサン」っていう名前みたいじゃない?って(苦笑)
ちょっとミドルネームみたいだし、
実は「イシカワ タケオサン ○○」って、後に何か続くのかもよ?とか(笑)
そんなくだらなくて、何の中身も無いような話だったけれど
やっと声を出して笑えるようになったんだよね。
Kちん、Tちゃんと合流した時は、やっぱり4人とも沈んでた。
ろくな会話もしないで部屋に入って。
それぞれソファーに腰掛けて、皆目を合わせたけれど
すぐにうつむいて、ため息しか出てこないような沈黙が続いてた。
でもね、そんな時間も10分やそこらだったと思う。
何かのきっかけで喋り始めた瞬間、当然話題はPIERROTだったけど
でも全然誰も泣いていなくて、不思議な位落ち着いていられました。
以下秘密
また溢れてきちゃったよ…。
昨日メールのやり取りをした浅井さん。
今日の番組でコメントを寄せてくれると言うので聞いていました。
私は昨日、浅井さんとの最後のやり取りで
『浅井さんはどんな業界人より深くピエロを愛してくれた方でした。
私はあえて、リクエストしない事にしました。
浅井さんだから出来る、
浅井さんなりのBEST OF PIERROTをセレクトして下さい。
今はただ、キリトの優しい歌声が聴きたいです』
こう締めくくりました。
その結果が今日の放送です。
浅井さんは数え切れないほどのリクエストメールを無視し
あえて誰もリクエストしなかった『CHILD』を流してくれました。
…偶然にしては余りにも出来すぎ。
私昨日の日記で無意識のうちに、『CHILD』の一節を書いてた…
解散の発表がなされてから今日まで
私は一瞬たりともピエロの曲を聴けませんでした。
着うたさえも変えた。
そんな時浅井さんが届けてくれた『CHILD』。
浅井さんも言っていたけれど、確かにピエロの曲は
絶望から希望を見出すような曲が多い。
けれど私の思う『CHILD』は、他のどの曲とも一線を介した位置にいて。
0から這い上がるんじゃなくて、もっともっと地の底から這い上がってくるような
計り知れない希望を歌っているように聴こえるんだよね。
最後のコーラスが流れ始めた頃、浅井さんが語り始めました。
「ピエロもピエラーも、決してそのスタイルを崩さなかった」
「自分と言う物に誇りを持ち続けた」と。
生放送の番組で、プロのDJが1つのバンドの事を想い、涙を流してくれました。
泣きながら、必死に語ってくれました。
浅井さんを知って約8年位。
こんな浅井さん見た事ありません。
浅井さんが今日の日記で
「’誰かに聞いて欲しい思い’を僕にメールで送って来るピエロのファンも多い。
すべてに返信したいが、何と言えばいいのか僕にもわからないよ」
と言い切った浅井さんが、あれほど私のメールに付き合ってくれた事。
これこそ、私がピエロから得た大きな財産の一つじゃないかな。
2002年5月の武道館3DAYS。
その中日、アンコール?のラストで演奏されたこの曲。
メンバー紹介でアイジが、こんな事を言ってたんだ。
「さっきのCHILD聴いてね、何か我ながらピエロの曲って良いよなぁー
なんて思ってしまいました」って。
以下秘密
昨日メールのやり取りをした浅井さん。
今日の番組でコメントを寄せてくれると言うので聞いていました。
私は昨日、浅井さんとの最後のやり取りで
『浅井さんはどんな業界人より深くピエロを愛してくれた方でした。
私はあえて、リクエストしない事にしました。
浅井さんだから出来る、
浅井さんなりのBEST OF PIERROTをセレクトして下さい。
今はただ、キリトの優しい歌声が聴きたいです』
こう締めくくりました。
その結果が今日の放送です。
浅井さんは数え切れないほどのリクエストメールを無視し
あえて誰もリクエストしなかった『CHILD』を流してくれました。
…偶然にしては余りにも出来すぎ。
私昨日の日記で無意識のうちに、『CHILD』の一節を書いてた…
解散の発表がなされてから今日まで
私は一瞬たりともピエロの曲を聴けませんでした。
着うたさえも変えた。
そんな時浅井さんが届けてくれた『CHILD』。
浅井さんも言っていたけれど、確かにピエロの曲は
絶望から希望を見出すような曲が多い。
けれど私の思う『CHILD』は、他のどの曲とも一線を介した位置にいて。
0から這い上がるんじゃなくて、もっともっと地の底から這い上がってくるような
計り知れない希望を歌っているように聴こえるんだよね。
最後のコーラスが流れ始めた頃、浅井さんが語り始めました。
「ピエロもピエラーも、決してそのスタイルを崩さなかった」
「自分と言う物に誇りを持ち続けた」と。
生放送の番組で、プロのDJが1つのバンドの事を想い、涙を流してくれました。
泣きながら、必死に語ってくれました。
浅井さんを知って約8年位。
こんな浅井さん見た事ありません。
浅井さんが今日の日記で
「’誰かに聞いて欲しい思い’を僕にメールで送って来るピエロのファンも多い。
すべてに返信したいが、何と言えばいいのか僕にもわからないよ」
と言い切った浅井さんが、あれほど私のメールに付き合ってくれた事。
これこそ、私がピエロから得た大きな財産の一つじゃないかな。
2002年5月の武道館3DAYS。
その中日、アンコール?のラストで演奏されたこの曲。
メンバー紹介でアイジが、こんな事を言ってたんだ。
「さっきのCHILD聴いてね、何か我ながらピエロの曲って良いよなぁー
なんて思ってしまいました」って。
以下秘密
昨日の雨が嘘のように上がりました。
時々陽射しが差して、少し動くと汗ばむ位暖かいです。
昨日凍りついてしまいそうだった心は、少しでもほぐれるかな。
記念日キライなキリトがリーダーだったPIERROTというバンドは、
皮肉にも、とても記念日の多いバンドでした。
PIERROTの誕生日、2月24日。
キリトの誕生日、2月24日。
アイジの誕生日、11月17日。
潤の誕生日、5月4日。
康太の誕生日、6月3日。
タケオの誕生日、7月11日。
デビュー記念日、9月10日。
FCの誕生日、4月1日。
何より、PIERROTに会った全ての日が、自分にとっての記念日で。
メンバーの誕生日意外で、
こんなに記念日が多いバンドも珍しいんじゃないかな。
…そして人生最悪の記念日。
4月12日。
この雨降りの日を、私は一生忘れられません。
悪夢のような現実。
…なんだか、過去のキラキラした思い出までもが夢のようです。
それまで当たり前に存在し、信じていたものが
自分の知らない所でフッと存在を消してしまう。
それがこんなにも虚しく、こんなにも酷く、
こんなにも残酷な気持ちになるのか。
あの大雨のせいで、PIERROTはどこかに流されてしまったのかな。
そんな事を、こんな雨の日が来るたびに思い出さなければいけないのかな。
雨降りは大嫌いになりました。
私は今も涙が止まりません。
恐ろしいほどの吐き気も止まりません。
気を抜いてしまったら、錯乱状態になってしまいそうです。
昨日の朝からずっと、泣いても泣いても涙が止まらなくて、
涙が枯れる事なんて本当にあるんだろうかと思う程です。
涙も出ないと言っている人が居るけれど、
私は何も考えなくても涙が零れてきます。
今は人と喋るのも嫌で…。
何か一言でも口にしたら、大声で泣き出してしまいそうです。
2005年より酷い状況なんて有り得ないと思っていました。
でももう極限状態です。
昨日、本気で「今なら死ねる」と思いました。
おかしいよね、生きる事の大切さをあれほど教えてもらったのに。
今年、PIERROTは安泰だって思って
これまでみたいに必死にならなくても、
会える時に会いに行けば良いんだって思っていました。
もう心配しなくてもPIERROTは帰ってくるから大丈夫だって。
信じて疑わないとはこういう事を言うのでしょう。
多感な時期にPIERROTと出会って、
人間として一番成長する時期を彼らと一緒に過ごしてきました。
社会に出て身動きが出来なくて、窮屈な世の中に嫌気がさし幻滅しそうになった時、
PIERROTがいつもステージで待っていてくれました。
『お前ら会いたかったぜ』って、迎えてくれました。
そこはまさに「ただいま」と言うべき場所で。
帰る家の無い私には、本当に帰るべき場所・無条件に受け入れてくれる場所でした。
年に数回しか会えないPIERROTだったのに、
そんな彼らに会えなくなる事が、こんなにダメージの大きいものだったなんて
私は彼らにどれほど依存して生きてきたのでしょうか。
PIERROTっていうモンスターバンドを見てきて、
私の人生はどれほど彼らに影響されていたのでしょうか。
PIERROTが生活の一部、人生の一部、私自身の一部になりすぎていて、
彼らがもしも居なかったら…っていう、そんな想像すらもつきません。
言うなれば、彼らが居たからこその人生だったのかもしれません。
最後に会ったのは、1月4日の日本武道館でした。
大きな不安を抱えて臨んだ一時解凍のツアーファイナル。
これからの人生を生きるのに大きな糧となる言葉を貰って…
もう何も怖くない、何も失う物はない、そう信じて疑いませんでした。
以下秘密
時々陽射しが差して、少し動くと汗ばむ位暖かいです。
昨日凍りついてしまいそうだった心は、少しでもほぐれるかな。
記念日キライなキリトがリーダーだったPIERROTというバンドは、
皮肉にも、とても記念日の多いバンドでした。
PIERROTの誕生日、2月24日。
キリトの誕生日、2月24日。
アイジの誕生日、11月17日。
潤の誕生日、5月4日。
康太の誕生日、6月3日。
タケオの誕生日、7月11日。
デビュー記念日、9月10日。
FCの誕生日、4月1日。
何より、PIERROTに会った全ての日が、自分にとっての記念日で。
メンバーの誕生日意外で、
こんなに記念日が多いバンドも珍しいんじゃないかな。
…そして人生最悪の記念日。
4月12日。
この雨降りの日を、私は一生忘れられません。
悪夢のような現実。
…なんだか、過去のキラキラした思い出までもが夢のようです。
それまで当たり前に存在し、信じていたものが
自分の知らない所でフッと存在を消してしまう。
それがこんなにも虚しく、こんなにも酷く、
こんなにも残酷な気持ちになるのか。
あの大雨のせいで、PIERROTはどこかに流されてしまったのかな。
そんな事を、こんな雨の日が来るたびに思い出さなければいけないのかな。
雨降りは大嫌いになりました。
私は今も涙が止まりません。
恐ろしいほどの吐き気も止まりません。
気を抜いてしまったら、錯乱状態になってしまいそうです。
昨日の朝からずっと、泣いても泣いても涙が止まらなくて、
涙が枯れる事なんて本当にあるんだろうかと思う程です。
涙も出ないと言っている人が居るけれど、
私は何も考えなくても涙が零れてきます。
今は人と喋るのも嫌で…。
何か一言でも口にしたら、大声で泣き出してしまいそうです。
2005年より酷い状況なんて有り得ないと思っていました。
でももう極限状態です。
昨日、本気で「今なら死ねる」と思いました。
おかしいよね、生きる事の大切さをあれほど教えてもらったのに。
今年、PIERROTは安泰だって思って
これまでみたいに必死にならなくても、
会える時に会いに行けば良いんだって思っていました。
もう心配しなくてもPIERROTは帰ってくるから大丈夫だって。
信じて疑わないとはこういう事を言うのでしょう。
多感な時期にPIERROTと出会って、
人間として一番成長する時期を彼らと一緒に過ごしてきました。
社会に出て身動きが出来なくて、窮屈な世の中に嫌気がさし幻滅しそうになった時、
PIERROTがいつもステージで待っていてくれました。
『お前ら会いたかったぜ』って、迎えてくれました。
そこはまさに「ただいま」と言うべき場所で。
帰る家の無い私には、本当に帰るべき場所・無条件に受け入れてくれる場所でした。
年に数回しか会えないPIERROTだったのに、
そんな彼らに会えなくなる事が、こんなにダメージの大きいものだったなんて
私は彼らにどれほど依存して生きてきたのでしょうか。
PIERROTっていうモンスターバンドを見てきて、
私の人生はどれほど彼らに影響されていたのでしょうか。
PIERROTが生活の一部、人生の一部、私自身の一部になりすぎていて、
彼らがもしも居なかったら…っていう、そんな想像すらもつきません。
言うなれば、彼らが居たからこその人生だったのかもしれません。
最後に会ったのは、1月4日の日本武道館でした。
大きな不安を抱えて臨んだ一時解凍のツアーファイナル。
これからの人生を生きるのに大きな糧となる言葉を貰って…
もう何も怖くない、何も失う物はない、そう信じて疑いませんでした。
以下秘密
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